適応障害克服|自分と向き合った5ヶ月

適応障害克服体験談 プロフィール

会社員だった2021年5月。当時33歳。

「適応障害」と診断されました。

理由は、働き方が自分の理想とかけ離れたものだったから。

それでも、自分と向き合い、人生を立て直すことができました。

鍼灸という、新しいライフワーク(となる予定)に出会うことができました。

自分と向き合った、5か月間についてお話しさせてください。

2021年5月:適応障害と診断される

八方塞がりなキャリア

やりがいや目指すキャリアを見失ったまま、膨大な仕事を長時間残業でこなす日々。

そういう仕事の環境が引き金になって、心身に不調が現れるようになりました。

  • 動悸がする
  • わけもなく涙が出る
  • 仕事のことを考えると「オエッ」とえづく
  • 常に何かに焦っている
  • 不安で仕方がない
  • からだにガチガチに力が入っていて、力の抜き方が分からない
  • 入眠はするものの、途中で目が覚めそこから眠れない
  • 食欲がない
  • 頭がうまく働かない
  • やる気が出ない

適応障害と診断され、人生迷子のピーク

今後についていろんな選択肢を考えるも、何も選択できない八方塞がり期

  • 会社を辞める?→無収入怖い。ムリ。
  • 他部署へ異動?→一から新しい仕事?その部署で理想の働き方ができるかも不明。ムリ。
  • 転職?→転職できる実力ない。そもそも自分が何をしたいのか分からん。ムリ。

何も選べない。
いつからこうなった…?
どこで人生狂った…?
どこに向かっていけばいい…?

途方に暮れました。

極度の不安と得体のしれない焦燥感

心臓がズーンと重く、とにかく不安で。

得体のしれない焦燥感がつきまとってた。

(今思うと本当に正常な思考回路ではなかったです)

一人になるのが怖くて、ずっと夫にくっついて行動していた。

(幸い、夫もずっと在宅勤務が続いていたので、基本的に一緒にいられました。)

夫が用事で外出するときも一緒にくっついて行ったり。

自分がお風呂に入る時も脱衣所についていてもらったり。

寝室で一人で眠るのも怖くて、眠るまで付き添ってもらったり。

母親に泣きながら電話することもありました。

本来、ポジティブ人間のわたしですが、かなり弱ってました。

まずは心身を健康な状態に調整しようと、できることからやりました。

まずは、気持ちが明るくなること。

お笑いを見たり、音楽を聴いたり。

メンタルにいいと知り、散歩をしたり。

仕事は、時短&在宅勤務に。

仕事内容も元々やっていた業務ではなく、別の業務を割り振ってもらいました。

あまり頭を使わない作業寄りの仕事のもの。

期日の設定がないもの。

新鮮な気持ちで取り組めたこともあり、精神的負担はかなり軽減。

気分の落込みは続いていたものの、睡眠障害や食欲不振の症状は徐々に緩和していきました。

2021年6月:新しい空気が入ってくる

環境を変えるワーケーション

コロナ禍により在宅勤務期間が続いていたことにより、「自宅=職場=苦しんだ場所」に。

自宅にいるのも悶悶としてしまい、数日間ホテルでワーケーションのように過ごしたこともありました。

これはかなり気分転換になりました。

自分に対する客観視とマインドセット

本を読む

本を読むとは言っても、この頃はあまり読書欲はなく。

頭がいっぱいいっぱいで、文字は受け付けなかった。

集中もできなかった。

それでも、この2冊は「読もう」と手に取りました。

適応障害に関する本
もしかして適応障害?
もしかして適応障害?会社で”壊れそう”と思ったら

適応障害とはどういうものなのかを知るため、適応障害に関する本を読みました。

  • 自分が弱い人間というわけでは決してない
  • いきなり自分の人生の解決策を見出そうと行動しなくていい
  • まずは何もしなくていい、しっかり休んでいい

ということが分かり、安心できたのを覚えています。

一歩離れた客観的な視点から自分の状況を把握できました。

少し冷静に、現状の自分を受け入れることができました。

ストレス対処法の本
ストレスゼロの生き方

ストレス耐性を上げるマインドセットをしようと、ストレス対処法の本も読みました。

わたしの性格として、人からの評価をかなり気にするところがあります。

それが、わたしの大きなストレッサーでもありました。

  • まずい、失敗した。上司、絶対よく思ってない(ハラハラ)
  • 私の仕事を早く終わらせないと、それを待ってる上司に迷惑かける(アセアセ)
  • 資料提出したはいいけど、上司の希望通りになっているだろうか(グルグル)

(その時の心情が蘇ってきて、今心臓がドキドキしています…ちょっとお茶を…笑)

上司に忖度するあまりに、自分であれこれ考えて仕事を増やしてしまったり。

忖度疲れを引き起こしたりしたり。

もう少し生きやすいマインドを手に入れたくて、手に取りました。

(この本、気負わずに読めそうでしょ?)

マッサージとエステに通う

力の抜き方が分からず、ガチガチになった体をなんとかしようと整体マッサージへ。

通っているうちに、からだがゆるくほぐれていきました。

すると、からだが楽になったことで、心が少し前を向いた瞬間がありました。

明日、少しがんばってみようかな」って。

また、運動不足により完成したセルライトBodyも気になり始め、エステへ。

ここでも手のぬくもりに癒され、心の緊張がほぐれる感覚を味わいました。

世の中にはすばらしい商品やサービスで溢れている。

そんな中。

人の「手」だけで心もからだも穏やかに整えることができる。

小さな感動を覚えました。

顕著な気分の落込みや焦燥感、不安感も薄れ、少しずつ気持ちが落ち着いていきました。

同時に、心身の健康と美に関心が高まっていきました。

今まで何のケアもせず、後回しにしてきた自分が急激にかわいそうになって。

心身ともにボロボロになるまで放ってしまった自分。

これからはきちんと大切にしたい、と強く思いました。

2021年7月:自分の中に小さな炎が灯る

仕事を楽しむキラキラ女子

友人に会いました。ガレットを食べながら互いの近況話。

彼女は多忙ながらも充実感で表情は明るく、エネルギーに満ち溢れ、キラキラ輝いていました。

そして、ふと、彼女の口から出た衝撃の一言。

キラキラ
キラキラ

大変だけど楽しくてしかたないよ

!?

仕事が?タノシイ?

ここでひとつ。会社員時代によく思っていたこと。

Tsukasa
Tsukasa

この世の中に仕事が楽しくてしかたなくて、出社が苦でない人っているのだろうか

いたんですよね・・・目の前に。

「仕事が楽しい」なんて感情は、五臓六腑の隅々まで探してもどこにもない。

彼女の姿を見て、「わたしも変わりたい・・・いや、変わる」と決めました。

ここ数年、まとっている負のオーラを脱ぎ去って。

わたしも自分の人生を自分らしく生きていこう、と。

そして、話をしているうちに、

「エステやりたいかも…」

とポロッと言葉が出たんです。

(え、今なんて言った・・?)

(エステ?わたし、エステやりたいの?)

「手」の力への感動が、心の奥底にあったのだと思います。

潜在意識が言語化されたような感覚でした。

彼女と別れてから興奮でいてもたってもいられず、本屋でエステ関連の本を探しました。

その時購入した本がリンパマッサージの本と東洋医学の本でした。

ちょうどこの梅雨の時期、猛烈にからだが重く、だるかったんです。

すぐ疲れるし、駅の階段を上がっただけで汗をかき、息が切れる。

季節ごとのからだの変化みたいなことに興味があって、なんとなく手に取ったのが東洋医学の本。

そしてこの本から、東洋医学のスペシャリストの存在を知ります。

鍼灸師です。

わたしの進むべき道はこれかもしれない

自分の中に小さな炎が灯りました。

そこから、鍼灸師の資格が取れる専門学校を調べ始め、国の給付金制度もあることが分かりました。

Tsukasa
Tsukasa

ただ、焦りは禁物。

まだ正常な思考回路じゃない可能性がある。落ち着け、自分。

34歳、もはやアラサー括りすらキワドイ世代。

そんな私がいまさら新しい道を目指していいのか?

10年間積み上げてきたキャリアを捨てるのか?

卒業するころには37歳だぞ?

そこからまたキャリアを一から積み重ねるのか?

わたしにできるのか?

ブツクサブツクサ…

こんな感じで葛藤や迷いがありながらも、鍼灸専門学校の体験入学に参加することにしました。

どう見ても先生だよね?63歳の鍼灸学生

期待に胸を膨らませ、専門学校の門をくぐり、体験入学会場となる教室に案内されました。

教壇には白衣を着、髪の毛は白くきれいに染まり上がった男性が、静かに立っていました。

Tsukasa
Tsukasa

おお。なんという貫禄。この方は凄腕テクニシャン先生に違いない。

入学したらこの先生のもとで学ぶのだろうか。

長年の臨床経験で培った東洋医学の知恵と技術をわたしたちに授けてくれるのだろう。

そんなことを考えながら席に着席して資料に目を通していると、この敏腕テクニシャン先生が私の方に近づいてきました。

敏腕テクニシャン先生
敏腕テクニシャン先生

体験入学は初めてですか?

ぼくはこの学校の2年生です。

…なんですと?

学生さん?

敏腕テクニシャン先生と思いきや学生
敏腕テクニシャン先生と思いきや学生

ぼくは会社を定年退職したあと、この学校に入学しました。

手に職をつけて、残りの人生をボランティアで近所の人に鍼を打ってあげたいんです。

100歳まで鍼を打ちますよ!

感動しました。

父親とほぼ同い年の学生さんが、本当に幸せそうにそう語る姿に胸を打たれました。

年齢はやらない理由にはならない。

深く、心に刻まれました。

マスク越しにアゴの不調を言い当てる先生

そして、体験入学では学校の先生によるマッサージの体験治療を受けました。

参加者それぞれが不調を伝え、先生の治療が始まりました。

すると、参加者のからだがどんどん目に見えて変わっていくんです。

背中の筋肉の盛り上がりがなだらかになったり、釣り上がっていた肩がストンと落ちたり。

なにこれ魔法?

おもしろいのは、参加者が「肩こり」「背中のこり」と認識しているのに、実際の原因は違う部位にあること。

手先の筋肉のねじれだったり、足の筋肉の縮こまりだったり、そこを正しい状態に戻し、ゆるめてあげることで肩や背中の筋肉がゆるむ。

そして、私の番。

「わたしも肩こり、首こりが…」と言おうとした瞬間、先生はこう言いました。

魔法使い先生
魔法使い先生

あら、あなたはアゴね

ななななな!

そうなんです、実はこの頃、睡眠時の食いしばりでアゴがだるかったんです。

だからアゴの不調には大いに心当たりがあったんです。

でもね、魔法使い先生?

わたしが今一番驚いているのは、わたし、マスクしているのよ?

マスクした状態で、どうやってアゴの不調に気付けるの?

驚きの感情を抱いたまま、マスクを外し、治療に入りました。

指先を使って、アゴの筋肉を軽くクルクルとほぐすような施術でした。

3分もたたないうちに魔法使い先生の施術は終わり、

魔法使い先生
魔法使い先生

元々かわいらしいお顔が、引き上がってさらにチャーミングになったわね

確かに、アゴのダルさが少しやわらいでいる。

そして帰宅してすぐに鏡を見ると、頬が少しスッキリしている…

この魔法使い先生の弟子になる。

この学校の受験を決意しました。

(翌日、食いしばり対策のマウスピース作成のため、歯医者さんも予約)

「働くこと=人生そのもの」と知る

魔法使い(学校の先生)の弟子になろうと、鍼灸専門学校受験を決意。

つまり「会社を辞める」ということ。

Tsukasa
Tsukasa

え…うん。そう…わたし、会社辞めるよ…

もう決めたし。未練なんてない…ただね…なんて言うか…

誰かにわたしの選択間違ってないよって言ってもらいたいという気持ちがないと言うとウソになるって言うか…ブツクサブツクサ

Tsukasa
Tsukasa

腹をくくるために…だれかに背中を押してもらいたい…

本屋へGO!

そして、「これだ」と手に取った本。

「やりがい」のない仕事はやめていい。

「やりがい」のない仕事はやめていい
「やりがい」のない仕事はやめていい

『「やりがい」のない仕事はやめていい。』

わたしが求めていた言葉で溢れていました。(感涙)

この本を読み終わるときには「もう大丈夫。会社辞める。もう振り返らない」と自信を持って言うことができました。

会社を辞める覚悟はできた。

ところで、会社を辞めて、新しい人生を生きていくときに、わたしの軸ってなんだろう。

わたしってどういう価値観を持っていて、なにを大切にし、なにに幸せに感じるのだろう。

もっと自分への理解を深めた方が、これからの人生迷うことなく自信を持って生きていける気がする…

本屋へGO!

(←モヤモヤしたら本屋へGO!タイプの人間)

そして、手に取った本。

最強のライフキャリア論

最強のライフキャリア論

この本にはマイコンパス=人生の軸の設定を目的に、いろいろなワークが用意されていました。

本を読み進めながら、本に登場する悩める女子とともに、一緒にワークに取り組みました。

本にある質問への答えをノートに書きだし、可視化。

自分がどういう人間なのかどういう思考パターンをしているのか、少しずつ見えてきました。

ひたすら自分と向き合い、悩みながらも言語化し、なんとかマイコンパスが形になったときには、このコンパスをギュッと大切に抱きしめたい思いでした。

きっとこの先、何か迷いが生じたときにはこのマイコンパスに立ち返り、自分の生き方に沿った選択ができるようになると思います。

この2つの本に共通して書かれてあることで、わたしが今もすごく大切にしている考え。

本

働くこと=人生そのもの

目からウロコでした。

これまでのわたしは、働くこと=つらいもの、ガマンするもの、そう思っていた。

仕事はつらい。

毎日残業Partyで、仕事帰りにはコンビニでお菓子を買って、満たされない心を少しでも癒そうと、ストレス食い。

そしてその勢いで寝落ち。

翌朝の通勤電車の中では、目を閉じ、無になる。

その日に待ち受ける激務に耐えるため、感情を殺すモードに切り替える儀式。

平日5日間、こんな感じで乗り切る。

満たされたい。
変わりたい。
何とかしたい。

こんな心の悲鳴に正面から向き合おうとせず、見て見ぬふり。

必死で自分を誤魔化す。

仕事にやりがいがあって、楽しくやってる人なんてごく一部。
わたしの人生はこういうもんなんだ、受け入れよう。
きっといつかは花開く。

いつかはハナヒラク…?

「いつか」っていつ?

冷静に考えたらそう。

仮に20歳から定年60歳まで働き続けるとしたら、人生のメインといっても過言ではないこの40年。

この40年で、大半の時間を働いて過ごすことになる。

そうなると、この働く時間で満たされないのであれば、人生が満たされるわけがない

まさに、働くこと=人生そのもの

誰しもが「楽しくやりがいのある仕事」に出会うことをあきらめてはいけないんです。

2021年8月:振り返らず、前進あるのみ

会社を辞める覚悟、自分の人生を歩むマインドセットが完了。

あとは前進あるのみ。

上司に退職意思を伝え、9月末で退社することに。

そして、専門学校の入試エントリー。受験勉強にいそしむ。

考えれば考えるほどこの学校で学びたくて、受験当日はまあまあ気が張っていました。

それでも、やるだけやった。

あとは合格通知を待つだけ。

2021年9月:受験合格と会社員卒業

自由に自分らしく

試験の手ごたえは感じていたものの、結果が届くまではかなりそわそわしていました。

学校からの郵便が届き、開封して取り出した紙に書かれていた一文。

「合格おめでとうございます」

無事、新しい人生がスタートすることになりました。

適応障害克服までの5か月間

適応障害克服体験談

2021年5月、適応障害と診断された時期は、人生のどん底、光のない真っ暗闇に一人取り残された気分でした。

そこから5か月でやりたいことを見つけ、新しい人生をスタートさせることができました。

ターニングポイントは「変わると決め、自分と向き合ったこと」だったと思います。

決めたことで、

  • 敏腕テクニシャン先生と思いきや63歳の鍼灸学生
  • マスク越しにアゴの不調を言い当てる魔法使い先生

といった自分のマインドや行動に影響を与えてくれる人との出会いがありました。

自分と向き合ったことで、

自分の思い込みや執着に気づき、それらを手放す勇気が生まれ、

仕事ではなく、自分を軸に生きていく決心がつきました。

すると、自分のやるべきこと、進むべき道がどんどん拓けていきました。

もし、私のように苦しんでいる方がいれば。

あなたもきっと変われます。

まずはご自身を大切にしてください。

しっかり心とからだを休めてください。

ご自身の中に余白がうまれたとき、きっと新しいものが入ってきます。

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